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実家の犬が踊る

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり

嫌いな人間になってみる

 嫌いな人間になってみる、というのは案外と馬鹿にできないものなのかもしれない。おそらく、意図的に自分の嫌いな人間になろうと考える人は少ないだろうけど、自分の頭の中の理想の人間ではなく、現実のどこかにいるであろう嫌いな人間を目指すことで、悪手の存在を知ることはできるような気がする。悪手を知っていれば、それを禁止するのは簡単だ。それ自体がプラスにはならないけど、少なくともマイナスにもならない。最高の一手を目指す方法論と、最悪の一手を避ける方法論があって、多分周りに語ったりしたらウケがいいのは前者なんだけど、実際には良手というのはその時の環境や状況が作り上げるが、悪手はほぼあらゆる局面で悪手なので、悪手のブレなさの方が信頼できる。

 さっき真人間ノートに新たなルールを記入していて思ったけど、ルールを決めると言うのは、やらないことを決める=悪手を禁ずるのと同じなのだろう。好きなことや興味あることなら最高の一手を追及したり、悪手をバンバン指したりしても何とも思わないけど、あまりリソースを割く気のない分野については悪手の回避を念頭に置いた方がうまくいく。そう思ったけど、まあみんなやっていることだよなあ。