実家の犬が踊る

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり

いいから黙って「五大湖フルバースト」を読むんだ その3

その1(あらすじ紹介)を読む

その2(登場人物紹介)を読む

 少し間が空いてしまったが、もうみんな 「五大湖フルバースト」は既に読んでいるだろうから、今回からは内容に突っ込んだ紹介をしてゆく。

五大湖フルバースト 大相撲SF超伝奇 上 (シリウスKC)

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・SF(サイバーパンク)としての「五大湖フルバースト」

 「五大湖フルバースト」はSF漫画である。もっと突っ込んでいえばサイバーパンクである。サイバーパンクが何かについては、人によって色々な定義があるのだろうけど、知らない人は「人体と機械の融合(サイバネティクス)」と「社会、システムや体制に対する反抗(パンク)」ぐらいの認識でいいと思う。自分もそのぐらいの認識で言っている。作品で言うならば、よく例として出てくる映画「マトリックス」の世界観みたいな感じ。

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 じゃあ「五大湖フルバースト」のどこがサイバーパンクかと言えば、肉体の衰えた五大湖が人間の肉体を捨てて、鋼鉄のボディを持つロボット力士になった事がまず目に入る。これは絵で表現されているから誰でもわかる。だが、そこは本質的な部分ではない。機械と人間、五大湖横綱の対立構図を通して人間賛歌を描いている物語ではあるが、もう少し踏み込めば革新と伝統という構図も見えてくる。

 革新と伝統の構図は、そのままデジタルとオカルト(アナログ)と言い換えてもいい。それは科学技術を駆使してロボットに改造された五大湖と、超常的な方法で石像から現代に受肉した伝説の横綱との対決の中にも潜んでいることから明らかだ。

 ドクター・グラマラスは五大湖を使い、相撲に熱狂するアメリカ国民の、相撲に対する憧れを打ち砕こうとした。それは今や相撲の聖地となってしまったデトロイトを、かつてのようにヘドロと機械油にまみれた工業都市としてのデトロイトとして取り戻すために、だ。

 ここで、テクノロジーが過剰に発達した社会体制に対する反発や疑義、違和感を描くことが、従来のサイバーパンクだとするならば、「五大湖フルバースト」は全く逆の構図でサイバーパンクを描いていると読むことができる。相撲と言う 幻想(ノスタルジー)に対しての 技術(テクノロジー)の復讐だ。

 だからこれは技術の復讐(サイバーパンク)であるとも言える。

 

 ドクター・グラマラスはアメリカ相撲という国技を破壊しようとするが、それに対して描かれているのは、横綱の名声を守ろうとする保守的な、伝統的な角界である。それは主に全米相撲協会の理事長の台詞に現れている。

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  アメリカ相撲の栄光や横綱と言う銘(ブランド)を守ることに拘る理事長。

 伝統的な相撲と心技体を備えた横綱こそが善であるという世界観で描かれる「五大湖フルバースト」においては、最終的に横綱は勝利したかは読者の想像に任せるとして、それでも善は勝利する。だから悪として描かれるテクノロジー側から読もうとするのは邪道なのかもしれないが、敵であるテクノロジー側の代表格ドクター・グラマラスからの視点で読むと敗北したサイバーパンクという物語が見えてくるのだ。では善である横綱の視点からは何が見えてくるかと言うと、冒頭でも書いたようにオカルトであるのだが、また次回に続く。

 

 この作品の世界観が日本の相撲ではなく、アメリカの伝統的な国技として仕切り直しているのは、技術の復讐という物語を描くには、日本が舞台だとややピンボケしてしまうからだろう。なんとなく、日本でサイバーパンクをやるのは向かない気はしている。現代はもちろん、時代を近未来にして一度社会を崩壊させた後の日本を舞台にする意義も薄いという感じがするが、それは時間を早送りさせたら日本に残るものとは何か、というイメージの話だと思うが、また別の記事で改めて考えたい。

  

 

 

五大湖フルバースト 大相撲SF超伝奇 上 (シリウスKC)

五大湖フルバースト 大相撲SF超伝奇 上 (シリウスKC)

五大湖フルバースト 大相撲SF超伝奇 下 (シリウスKC)

五大湖フルバースト 大相撲SF超伝奇 下 (シリウスKC)