大事なことは、だいたい歩きながら決めた
昔、歩きながらいきなり大事なことを話し出してびっくりされたことがある。その時は、確かに、歩きながら話すような内容ではないことではないなあと思ったものだけど、
よくよく考えてみたら、自分は机の前に座って、腕を組んで考えて、何かを決断した記憶ってあまりない。
それは元々の、自分の思慮が足りないのかもしれないが、それで困った事ってあまりない。困らないと言うと語弊があるけど、歩きながら下した決断であっても後悔がない、後で振り返ってもその時点での決断は納得していた、というくらいの意味だ。
歩いている時というのは、自分にとっては頭も体もリラックスしている状態なのだと思う。自分の生活の中では思索するのにはベストに近い状態であるのかもしれない。
なんで徒歩なのかというと、単に椅子に座って、相手が目の前にいてさあ決めろというシチュエーションから、無意識に距離を置きたいという無意識の表れかもしれないし(歩きながらの話で決断を迫る人というのはそうそういない)、歩きながら大事なことを話すという意表を突くことで相手を驚かせたいだけかもしれない。
それは冗談にしても、歩いている時にふと思いついたり、気付いたりすることがよくある。やる気にだってなる。だけど、そういうのって文章化したり、具体的な行動に落とし込むとかちゃんと加工処理しておかないと、座った途端にその志や決意はふっと消えてしまうこともよくある。あれは不思議だけど何なんだろうね。